実際そうなのです

 映像が気持ち悪いだけのグロはそうでもない。怖いといえば怖いけれど面白くない。蟲を見て気持ち悪いと思うようなものかな。なので好んで見たりもしないしね。でも「自殺を図る程の葛藤」や「自分を掻き乱された後で生まれた殺意」だとか「惨劇を目の当たりにした絶望」みたいな、人の精神の奥底から湧き上がる狂気を垣間見るのは本当に怖い。でも怖い怖いと言いながら見ちゃう。
 どう説明すればいいかな。かまいたちの夜で説明すると………殺害された俊夫さんが最後の力を振り絞って玄関のチャイムを鳴らすのだけど、「それを聴いてから何が起こったか玄関に確認しに行くまでの経過」は怖くて、「俊夫さんの死体を発見した瞬間」は気持ち悪いだけで、「俊夫さんの死を認識した後」はまた怖いという感じ。


 僕はどうも、話し相手であったり、読んでいる漫画やドラマの登場人物にシンクロしようとする傾向が強いようだ。特に、自分が経験した事の無い行動・感情を目の当たりにすると、必死に理解を深めようとしてしまう。
 例えば自殺。僕も人間なので「死んだら楽になれるかな」と思った事は1度や2度ではないが、実行した事は流石に無い。その結果として、今日の日記を書いている。しかし自殺を本当に実行した人間は………それに至る経緯はなんだったのか、どんな葛藤があったのか、自殺をする事によって何を得たかったのか、あるいはどんな狂気を孕んでいたのか、実行している最中は何を感じているのか、死の間際に見えたものはなんだったのか、生命活動が停止した後の思考・魂・感情はどこへいくのか………とまあ大まかにこのくらい考えちゃうんですよ。
 そして、考えれば考える程、頭痛や吐き気がしていく。答えに近づけば近づく程に狂気に呑まれていくような感覚に陥る。自分もそうした狂気に近しい感情を内包しているのかと考える。考える事を止めてしまえば良いのだけど、止める事が出来ない、得体の知れない力に恐怖する。


 こんな感じになる。
 で、こうなると、もう何もかもが怖く感じるんですよ。


 恐怖を感じた1秒を恐怖に感じて、その恐怖をひきずって数秒が経過して、その数秒があれば別の事を考えられたかもしれないという仮定をして、具体的に何を考えられたか思いつかずに困惑して、困惑していると自分が自分じゃないような気がして………っていう感じでどんどん思考の螺旋に落ちていく、みたいな。


 書いて見直して思うけど、自分結構キモいなあ。
 でも考えてしまうんだから仕方が無いんだよなあ。