「嫌われる覚悟も無いのに嫌ってんじゃねえよカス」と思うわけです。


 「自分が相手を蔑んでも、相手が自分を蔑むのは認められない」とはどういう了見か。貴方の「嫌悪」とは「優越感」か。「自分がこの行動をするのは良いが、相手がこの行動をするのは許せない」とはどれ程自分勝手な事か。貴方が与えられたと思っている「権利」は貴方が作ったルールの上にしか存在していないのだと。


 僕相手が僕を好きでいてくれるのであれば、ずっと好きでい続けられると思う。
 相手が僕を嫌うのであれば、僕は相手の存在・取り巻く環境・世界の全てを否定すると思う。もし、相手の何かが自分の糧になっていたのであれば、その成分を含んだ自分すらを呪って憎んで恨み続けるんじゃないだろうか。


 あ、勿論、生理的にどうしても合わない人ってのもいます。でも、その相手と「合わない」けれど「想いを寄せてくれる相手に想いを寄せる」のは可能。それと、「自分に非があって嫌われた」場合は、そんな事にはならないけどね。


 「何で人間って『好きな人間』『嫌いな人間』で区別したがるんだろうね。相手の『好きな部分』『嫌いな部分』を認識するだけで良いのに。無理に人間を分類するのって疲れないんだろうか?」と話したら、「そこまで考える方が疲れる」「むしろそんな細かい分析をした挙句一つのフォルダにまとめる方が疲れる」「言いたい事と気持ちは理解出来たが、真似は出来ない」とフルボッコされる。


 昔からこういうモノの考え方をしていたせいか、それが普通なんだよなあ…